かなえたかった夢
昨日は夜見るほうの夢の話をしたので、今日は目標のほうの夢の話をします。
いまの夢は引き寄せを自由自在にできるようになること(ハイヤーセルフとつながる)ですが、昔の夢は「字幕翻訳家」になることでした。
英語が得意(と思い込んでいたが実際はしょぼいレベルでした)で、映画が好きというのがその理由でしたが、何よりそれをやっていたら「みんなにすごいと思われそう」という、かなり動機が不純な夢でした。
所詮偽物の夢でしたので、最後のほうはしんどくなり、ある日友人に「まだそんなことやってるの?」とあきれられて目が覚めました。
最初は「こんなに頑張ってるのにそんなこと言うなんて」と思ったんですが、本当に叶えたいならものだったら「うん、まだ頑張ってるよ」と笑顔で答えれたはずだと考え、ただただしんどいならそれは本当に好きではないということだと悟り、10年間頑張りましたがキッパリ辞めました。
いま同じことやれと言われても絶対にできないと自信を持って言えます。
と同時に当時の自分がどれだけ人に認められたがっていたかがよくわかりました。
自分は本当に成功体験が少ないので、きっとその裏返しだったと思います。
「みんなをアッと言わせたい」という想いだけで続けていたような気がします。
なんとも哀れ。
映画自体は好きで、別のブログでは観た映画のレビューなども少し書いてますが、やはり映画は自分の場合は純粋に楽しむに限るなと思いました。
字幕翻訳改め映像翻訳の世界は狭き門です。
いま活躍してらっしゃる方々はその狭き門を勝ち抜いた方々ですので、ただただ敬服の念しかありません。
やはり根底に「好き」がなければ何事も続かないと悟りました。
夢に意味などない
昨日の記事で「その日に降りてきたことを書く」などとなんだかチャネラーのような表現になってしまったが、ふつうに「その日に思いついたことを書く」と書けばよかった。
さて、今日”思いついたこと”は、「夢」についてです。
あなたの夢はなんですか、の夢ではなく、夜中に見る夢のほうです。
わたし、夢占いって信じないんです。
なぜかというと、わたしの夢は、日常生活の中でインパクトがあったことや人が登場してるだけだからです。
それらが絶妙に混ざり合って夢となって現れてるだけの話だからです。
トイレの夢をよく見るのですが、これは完全にトイレに行きたいから見てます。
兄弟の夢などは、前の日に話題に必ずのぼってますし、亡き父が夢に出てくるときは決まって写真をまじまじと見て何かしら思い出などが蘇ったときです。
ときどきものすごく懐かしい同級生などが出てきて、さすがにこれは何かの暗示かもと思っていたら、前の日にテレビで同じ苗字の芸能人がニュースで出てたな、というオチがあったります。
あとは、悩みごとがあったり、あまり精神的によろしくない状態のときは悪夢をよく見ますが、これも自分の心理状態にリンクしているといえそうですね。
今は、夢自体あまり思い出せないですね。
というより暑すぎて眠れないことが多くて夢もあまり見てないのかもしれません。
とりとめもなく、徒然に
身の回りの断捨離をしています。
ツイッターでフォローしてる人から、机周りのものまでまんべんなく。
それだけでスッキリするんですよね。
私自身、物にも人にも執着がないので、「今それは必要か」「それは本当に好きなのなか」ということを自分に問いかけて、要らないときはすぐに手放します。
モノや人に関しては結構自分で判断できるんですが、何かを決断しないといけないときなどは、まだまだ身近な人の判断を仰いだりしてます。
自分で何かを決める、ということをあまりしてきてなかったなぁと今更ながらに思います。
今まで自分で選んで決めてきたことがことごとく続かなかったり失敗したりしてますから、きっとそのせいなんだと思います。
成功体験が多ければこうはならなかったかもしれません。
断捨離の話からかなりそれてしまいました。
それたついででなんですが、このブログの決め事として、まず内容としてはとりあえずざっくばらんにテーマも決めずにその日に降りてきたことを書くようにしています。
また、”(笑)”や絵文字などは一切使わない。
後で自分が読み返した時にそのほうが読みやすいかなという気がしたので。
自分自身のことはあまり好きではないんですが、自分の書くものは結構好きでよく読み返してます。
なんなんでしょうね、この現象は。
自分のためにただ書いているので、シンプルに気楽にこれからも書いて行ければと思います。
それでものぞいてくださる方がいれば、それはそれでとてもうれしいです。