愉快な毎日

後期高齢者の母と二人暮らしです。日々の出来事、感じたことをつらつらと書いています。

モヤモヤの理由がわかった

ここ数日に起きた出来事をざっくりとまとめますと、友人のことを心配して色々動いていたつもりが、実は友人のことを心配してる自分に酔っていて、いい人アピールしたいだけだったということがわかって、なんてこったいな気分でおりました。

色々とお節介を焼いた割には少々空回りで、後から登場した別の友人においしいところを持っていかれて一人モヤモヤとしておりました。

「頑張ってる自分」よりもSNSでより多くやりとりしている人のほうに恩義を感じてる友人の態度に多少のがっかり感と寂しさがあったのですが、よくよく考えたら自分の行為が相手のためではなくて、自分のためにやっていたことだったんだなと思わされました。

私自身はあまりSNSで頻繁にやりとりする人間ではないので、投稿などに対しては反応したりしなかったりというスタンスで、そこでたくさん反応する人に友人がことあるごとに感謝しているのを見て「こっちはあれだけやってあげたのに」という感情が沸いてきました。

そもそも「やってあげた」と考えること自体がやさしさの押し売りなんですよね。

本当のやさしさは見返りを求めませんし。

まったく、自分自身の幼さに我ながらあきれてしまいました。

 

自分が自信のない人間なので、人の役に立ってこそ自分には価値があると思っているフシがあり、ことあるごとに役に立っている自分をアピールしたがる傾向があるなと痛感しています。これは改めるべきところですね。

 

私は困っている友人に対して要所要所で自分ができることをやった。

今彼女は元気で楽しく過ごせているんだし、誰と仲良くするのかは彼女の自由だからそれでよし。

やさしさの押し売りは慎むべし。

本当に相手のことを思うならば見返りは求めないこと。

役に立っているアピールは辞めること。

書きながらようやくこのように考えられるようになりました。

文章にまとめると、こんがらがっていた気持ちが整理できていいですね。